大判例

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神戸地方裁判所 昭和33年(わ)253号 判決

被告人 桂正義

大一一・九・五生 無職

主文

被告人を

判示第一ないし第四の罪につき懲役八年に判示第五ないし第三十五の罪につき死刑に処する。

押収にかかる、証第十五号の腕時計一個及び証第五号の時計バンド一本は被害者Hの相続人に、証第十号の冬オーバー一着は(被害者J)に、証第十一号の背広上衣一着及び証第十四号の男物ズボン一着は同Kに、証第十二号の革バンド一本は同峰永千代治に、証第十七号の軍手片方及び証第十八号の背広上衣一着は同宮明貞一に、証第十九号の紺色ズボン一着は同唐津邦雄に、証第二十七号のきんちやく形手提袋一個、証第二十八号の櫛一本、証第二十九号の数珠一個、証第三十号の書籍(温圧療法解説)一冊、証第三十一号のちり紙若干、証第三十二号のビニール袋(小型マツチ二個等在中)一個、証第三十三号の蟇口一個、及び、証第三十四号の紐一本は同Iに、証第三十九号の三徳ナイフ一本は同加藤弓子に、それぞれこれを還付する。

理由

(罪となるべき事実)

<被告人の経歴>

被告人は、本籍地において土木請負業を営む父末蔵、母ハルノの長男として生れ、特に祖母にかわいがられて成長し、昭和十二年三月、厚狭尋常高等小学校を卒業したが、その間、父は仕事には精を出すけれども、酒のみで他に女を持ち、このため母は苦労が絶えず、被告人には恵まれない家庭環境であつた。被告人は小学生の頃から非行少年と交つて次第に学業を怠り、教師に反抗し、仲間とともに盗みや女生徒へのいたずらをし、右卒業前(十四才)頃には酒を飲み始め、またその頃近隣の年上の女と関係して性交を覚え、卒業後は家業の土木仕事の手伝をしていたが、素行がおさまらず、遊廓に出入りし、遊興費に窮して家の金品を持ち出すなどしているうち、昭和十六年(十八才)頃、仲間の者とともに窃盗をして、同年七月二十九日船木区裁判所で懲役十月に処せられ、岩国少年刑務所に収容されるにいたつた。そして、昭和十八年一月(二十才)頃、徴兵され中支に渡つて転戦し、昭和二十一年四月初(二十三才)復員して本籍地の自宅に帰つた。その頃、被告人の身持を案じた両親のすすめで、前科を秘し、Y(当時二十才)と見合をしたが、被告人は元来娼婦型の女が好きであつたのに、同女は理性的で勝気なところがあり、戦時中に高等女学校を卒業して一時小学校の教員をしていたこともあるまじめな女性であつたので、被告人は自分のヤクザ的な性格と対比して同女に劣等感を覚え、また、入隊前には他に気に入つた女性があり、これと情交関係まであつたため、右Yとの結婚には乗気ではなかつたが、当時被告人方では田一町五反を買い入れ、百姓をしようとしていたところであつたので、両親のすすめるままに、同年五月、同女と結婚したところ、同女において結婚についての知識がなかつたため、その初夜に驚いて母屋に居た被告人の母のところに逃げこんだことなどから、夫としての自分に愛情がないと速断したことと、被告人生来の飲酒、無頼性とが相まつて、次第に家庭をかえりみず、不良の徒と交り、酒、賭博、女買にふけるようになり、その常習飲酒嗜癖は、生来の旺盛な性欲と相まつて、一升ぐらいの酒をのんでも泥酔するどころか、かえつて性欲が亢進するという状態になり、特にYが妊娠してからはその放とうが激しく、家財はもちろん百姓牛まで売り払うに及び、家におれなくなつて、昭和二十二年八月、沖宇部炭坑へ行き、棹取夫として働くようになつた。この間同年九月、長男吉宣が出生したが、被告人はほとんど家に寄りつかず、友人とともに路上強盗をして、昭和二十三年六月五日(二十五才)、山口地方裁判所で懲役三年に処せられ、服役後一時まじめに働いていたけれども、やがてまた、遊興にふけつて家の金員や家財を持ち出し、他に借財もできて家におれなくなり、再び家出をして、昭和二十七年一月にはその仲間と強盗傷人や詐欺を犯し、山口地方裁判所に起訴せられたが、右強盗傷人の事実を否認し、後記のように同年四月二十五日、詐欺罪のみにより懲役二年に処せられて服役し、昭和二十八年六月、仮釈放により広島刑務所を出所し、妻Yの出迎えを受けて、前記自宅に帰つた。そして父の土木現場へ行つてその手伝をし、当座はまじめに働き、この間、同年八月、大雨のため厚狭川が氾濫した際、難にあつた人達を救助して、県知事や町長らから表彰されたこともあつたが、その頃、Yが自分には冷淡であるのに被告人の父に対しては何くれと親切にしすぎると考え、同女と父との中を嫉妬、邪推して自暴自棄となり、仕事をせずに酒をのみ、女遊びをして借金を重ね、街の愚連隊を相手に大喧嘩するなどして、結局はまた家にいたたまれなくなり、昭和二十九年三月二十八日、友人の自転車をかつてに処分して約九千円を手に入れ、これを持つて家出して九州に向つた。以後、被告人は判示第一の強姦致傷、強盗を皮切に、西は九州から、山陽、近畿を経て、東は関東に、さらに引き返して東海にかけて犯行を重ねた。その大体の手口は、被告人は酒を飲むと性欲が亢進し、兇暴な犯罪を平気で行い得られるところから、まず酒を飲んだうえ、白昼、家人不在と思われる家を狙つて空巣に入り、もし留守居の者がおるときは虚無人の名をいつて所在を尋ね、婦女のほかに家人がいないと見きわめるや、湯茶等を所望して台所へ行き、ありあわせた庖丁等を取り、居直つて強盗、強姦に及び、犯行の後には、衣類を窃盗し変装して逃走するという細心且つ大胆な方法であつて、よつて得た金員で酒を飲み、特飲店で泊り、巧妙に捜査網をのがれて犯罪行脚を続けていたが、ついに判示第三十五の犯行直後、三重県桑名市において逮捕されるにいたつた。

<犯行>

被告人は

第一、昭和二十九年三月三十一日午後七時頃、福岡県小倉市足原大畠所在の藤田みね方附近道路上において、おりから一人で同所を通りかかつた洋裁見習A(現姓X、当時十九才)の姿を認めるや、にわかに劣情を催し同女を強姦しようと企て、道端で立小便をする風を装つて同女をやり過ごしたうえ、同女の背後から、やにわに右手でその口をふさぎ、左手で後首を押えて、同女を右道路端の豆畑内に引きずりこみ、その場に同女を押し倒して「いうことをきけ、声を立てるな」といいながら、同女に乗りかかり、左手でその首を締めつけ、右手でズロースを引きぬがして強いて姦淫を遂げ、右姦淫により同女に対し処女膜新鮮裂創の傷害を負わせたうえ、逃走するにあたり、同女が救いを求めて声をあげないようにするため、さらに同女の首を両手で締めつけてこれを失神させたところ、その際、同所道端に、同女が当初被告人から暴行を受けたとき取り落した手提袋があるのを認め、同女が右のように失神して反抗できない状態にあるのに乗じて、右手提袋一個(在中品・現金八百円、印鑑、洋裁鋏、手袋、弁当箱、シツケ糸各一個、定期券一枚)を奪い取つてこれを強取し

<次の犯行までの経過――一>

右犯行当夜は下関市の特飲店で一泊し、翌四月一日、岡山県にいたり、同県真庭郡で旭川ダム工事の人夫をしたのち、岡山市内で興業していたサーカスの雑役に雇われていたが、酒と女買いのために金銭に窮し、

<犯行>

第二、同年五月十日、岡山市竹田百九十一番地、高橋照市方において同人及び高橋秀則所有の男物背広上衣三着、同ズボン三着(時価合計約金一万五千円相当)を窃取し

第三、翌同月十一日午後七時三十分頃、兵庫県姫路市新在家所在の神戸大学姫路分校西側十字路の南方約百メートルの道路上において、おりから一人で通行中の小学校教員O(当時二十三才)の姿を認め、附近に人通りのないところから、同女に暴行を加えて金品を強取しようと企て、同女の背後から、やにわに両手でその首を締め、その場に同女を押し倒し、さらに所携のタオルを同女の首に一巻し、その両端を引つぱつてこれを強く絞めつけて同女を失神させたうえ、同女が腕につけていた女物腕時計一個(時価約金千円相当)及びその所持していたハンドバツク一個(在中品・郵便貯金通帳二通―預金高合計約金一万千八百円、財布一個、現金約千五百円、印鑑一個その他雑品数点)を強取し、その際、右の暴行により、同女に対し、治療約一ヶ月を要する両眼皮下並びに結膜下出血の傷害を負わせ

第四、翌同月十二日午後十一時頃、神戸市東灘区魚崎町所在の阪神電鉄魚崎駅附近において、おりから、電車を降り一人で帰宅を急いでいた無職P(現姓h、当時二十才)の姿を認めるや、同女から金品を強取しようと企て、その後をつけ、同女が同町横屋二百四十七番地岡田耕方前道路上にさしかかつた際、同女に追いつき、その背後から両手で同女の首を締めてその反抗を抑圧しておいて、「金を出せ」と申し向け、よつて同女をして現金千円を提供させてこれを強取し

<次の犯行までの経過――二>

当夜は大阪の特飲店で遊興し、その後大阪で空巣をしたり、辻強盗をしたりして、同月十四日夜、京都にいたり、その夜半、京都市内で強盗を企てて未遂に終り、直ちに逮捕されたが、前示第一ないし第四の犯行を秘し、後記のように、昭和二十九年六月、京都地方裁判所において、右強盗未遂と以前に犯した詐欺の罪により懲役三年六月に処せられて服役するにいたつた。そして昭和三十二年七月、京都刑務所を仮釈放で出所し、出迎に来た母に伴われて本籍地の自宅に帰り、家業の手伝をすることとなつたが、妻Yが父の仕事を手伝つてけなげに働いているのを見て、自己を反省し、今度こそ更生しようと誓い、約二ヶ月は禁酒を続けて働いていたが、やがてまた倉重八郎らの仲間に誘われて酒をのみ歩くようになり

<犯行>

第五、昭和三十二年十月初旬項の午後十一時頃、山口県厚狭郡山陽町厚狭加藤北区峰永千代治方において、同人所有の乗馬ズボン一着、革バンド一本(革バンドは証第十二号、時価合計約金千四百円相当)を窃取し

<次の犯行までの経過――三>

その頃、被告人が前示のように京都刑務所で服役している間に父が妻Yと情交関係をもつようになつたとの世間の風評を聞き、かねて父と同女との仲を邪推していた被告人は、やけを起して酒色に溺れるようになつたが、昭和三十二年十月二十七日頃、前記倉重八郎が街へ出て酒をのもうと誘いに来た際、母とYがこれをとめて被告人を外へ出させなかつたことに立腹し、Yと口喧嘩をしたあげく、翌二十八日、当時田地を売却して金をもつていた右倉重八郎とともに家出し、宇部、防府、広島の各市を遊び歩き、同月三十日、広島で同人と別れたうえ、一人で防府市に舞い戻り

<犯行>

第六、昭和三十二年十一月二日頃の昼頃、山口県防府市多々良二千三百二十三番地岸本満雄方において、同人所有の紺背広上衣一着、ズボン一着、黒皮短靴一足及び布製ボストンバツク一個(時価合計約金二千八百円相当)を窃取し

<次の犯行までの経過――四>

翌十一月三日頃、本籍地の自宅に帰り、家業の手伝をしていたが、かねて妻Yが、もと自動三輪車の運転手として父に雇われていた工藤昭夫と関係しているとの世間の風評を耳にしていたところへ、同月十七日夜、右工藤昭夫が被告人夫婦のところへ遊びに来て泊つたことから、Yと口論をし、翌十一月十八日、母から旅費を出させ、長崎へ行つて働くつもりで家出をしたが、途中福岡県戸畑市で遊興して一泊し、翌十九日から酒をのんだりして所持金をほとんど使い果したので、空巣や強盗をしようと企て

<犯行>

第七、同日(昭和三十二年十一月十九日)午前十一時頃、福岡県八幡市大字××××○○番地B方が留守のように思い、念のため玄関で声をかけたところ、留守居をしていた同人の妻C(当時三十一才)が応待に出たので、同女に対して水を所望し、同女の案内で同家裏の井戸端にいたつた際、他に家人が居ないことを知つて、同女から金品を強取しようと企て、右井戸で水を汲んでいる同女の背後から両手でその首を締めつけ、「声を出すな、金を出せ」と申し向け、さらに左手で同女の手をつかみ、同家炊事場にあつた刺身庖丁(証第二十六号)を右手にもつて同女に突きつけ、畏怖した同女に同家茶の間まで案内させ、同所にあつた現金約一万八千四百円を強取したが、その際、にわかに劣情を催し同女を強姦しようと企て、「俺のいうことをきけ」といいながら、その場に同女を押し倒し、同女が助けを求めて大声をあげたので、両手でその首を強く締めつけて同女を失神させ、そのズロースを引き下ろして強いて姦淫しようとしたところ、同女が首を締められて失神したため脱糞しているのを見て劣情にわかに消散し、姦淫の目的を遂げることができなかつたが、右の頸部絞扼により、同女に対し入院加療約三日間を要する頸部皮下溢血の傷害を負わせ

第八、右の犯行直後、その場において、前記のように右Cに対し強姦の目的を果せなかつたことに立腹し、前記刺身庖丁の刃先で同女の陰部を突き、よつて同女の外陰部(右大陰脣)に長さ約一センチメートルの切創を負わせ

第九、その後、下関を経て広島市にいたり、金銭に窮したあげく、昭和三十二年十一月二十三日夜、強盗をしようと考えて、ぶらぶら歩いているうち、午後十時頃、広島市曙町一丁目八七番地三田英典方附近道路上において、おりから同所を一人で通行中の食堂雑役婦aことD(当時四十三才)の姿を認めるや、同女から金品を強取するとともにこれを強姦しようと企て、同女に道を尋ねて油断させ、その隙をねらつて同女の背後から両手でその首を締めつけ、そのまま同女を附近の稲田に引きずりこみ、稲束を干してある蔭に仰向けに同女を押し倒し、さらに両手で強く同女の首を締めつけて、同女の半オーバーポケツト内から現金約二百円在中の財布一個を奪い取つてこれを強取し、次いて片手で同女の首を抑えたまま、他の手で同女のズロースを引き下ろし、同女の上に乗りかかつて、強いて同女を姦淫し、その際、以上の暴行により、同女に対し全治まで約十日間を要する前頸部擦過傷並びに背部打撲傷を負わせ

第十、同年同月二十四日午前九時過ぎ頃、広島県加茂郡高屋町稲木所在の十文字原県道上において、前方から自転車に乗つて来る無職Q(当時二十一才)を認めるや、附近に人通りがなかつたところから、同女に暴行を加えて金品を強取しようと企て、同女と行き会つた際にこれを呼び止め、自転車から降りた同女の右手首をつかんだところ、同女が大声をあげて逃げかけたので、直ちに同女に追いついて両手でその首を締め、そのまま同女を道端の草むらの中き引きずりこんで、その場に同女を押し倒し、さらに両手で強くその首を締めつけ失神させたうえ、同女の所持していた自転車一台(時価約金一万七千円相当)、現金千百五十円、男物カーデイガン一枚(時価約金千円相当)及び風呂敷一枚を強取し

<次の犯行までの経過――五>

右犯行後、その日のうちに汽車で本籍地の自宅に帰つたが、前示のように犯行を重ねているので落ちつかず、妻Yとの折合も悪く面白くない日を送つているうち、同年十二月八日夜、ささいなことからYと喧嘩口論したあげく、同女に対し「世間に顔向けのできんようにしてやる」とののしり、翌九日、家人には山芋を堀りに行くといつたまま家を飛び出して、再び帰らず

<犯行>

第十一、昭和三十二年十二月九日、山口県厚狭郡山陽町厚狭所在の日本化薬桜川社宅附近道路上において、中国電力厚狭出張所長小柳三次管理の自転車一台(時価約金一万五千円相当)及びこれに取りつけてあつた鞄一個(在中品・ぺンチほか電気工具類三点)を窃取し

第十二、同月十一日午前十一時頃、山口県熊毛郡田布施町大字麻郷三千五百七十三番地唐津邦雄方において、同人所有の合背広三揃一着、冬背広上下一着、茶色冬オーバー一着、紺色ズボン一着(証第十九号)、テーブル掛一枚(時価合計約金三万三千三百円相当)を窃取し

第十三、同日午後二時三十分頃、山口県柳井市大字日積字坂川××××番地のE方に空巣に入ろうとして、同家東側の勝手口の戸を開けたところ、その土間に面した三畳の間に同人の妻F(当時二十五才)が居たので、虚無人の名前をいつて家を尋ねる風を装い、話をしているうち、ほかに家人がいないことを確めるや、同女から金品を強取しようと企て、左手で同女の左上腕部をつかみ、右手に所携のジヤツクナイフをもつて同女に突きつけ、「声を出したら命がないぞ、金を出せ」と申し向けて脅迫し、同女から現金五百円を提供させてこれを強取したが、その際、にわかに劣情を催し、右のナイフを手にしたまま「おれのいうことをきけ、奥の間へ行け」と申し向けて、同女を隣の表六畳の間に追いやり、同所において同女を仰向けに寝させたうえ、同女が和服の下に着ていた胯下及びズロースを片足ぬがせ、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女が妊娠中であることを知り、あわれを催し姦淫を思い止まり、その目的を果さず

第十四、同月十二日頃の午前九時三十分頃、広島県佐伯郡廿日市町大字佐方三百十八番地若狭隆方において、同人所有の男物オーバー、同背広上衣各一着、腕時計一個(時価合計約金二万二千円相当)及び現金約三百円を窃取し

第十五、同月十三日午後十時過ぎ頃、広島市富士見町二百三十九番地小谷建設株式会社前道路上において、前方からI(当時六十六才)が一人で歩いて来るのを認めるや、同女から金品を強取しようと企て、附近にあつた拳大の石塊を所携のマフラーに包んで用意し、同女と行き会つた際、同女に対しでたらめの家の名前をいつて道順を尋ねる風をして同女を油断させ、やにわに右マフラーに包んだ石塊をもつて同女の頭部を強打し、同女所有のきんちやく型手提袋一個(証第二十七号、在中品・櫛一本、数珠一個、書籍、温圧療法解説一冊、ちり紙若干、小型マツチ等在中のビニール袋一個、墓口一個―以上証第二十八号ないし第三十三号―なお証第三十四号の紐は右手提袋の附属品)を強取し、その際、右の暴行により、同女に対し加療約二週間を要する頭部挫傷を負わせ

第十六、右犯行直後の同日同時刻頃、右犯行現場から逃走するに際し、広島市昭和町土手筋所在の飲食店向井亀一方前道路上において、村上武志が乗つて来て置いてあつた中沢淳雄所有の自転車一台を窃取し

第十七、同月十四日午前十時頃、広島県安佐郡可部町大字中島八百四十七番地西本茂方において、同人所有の合オーバー一着、糯米二斗(時価合計約金一万四千円相当)を窃取し

第十八、同月十五日午前十時頃、岡山市宿七百三十五番地光岡五六方において、同人所有の背広上衣一着(時価約金九千円相当)及び高橋喜代子所有の写真機ウエルミーシツクス一台(時価約金六千五百円相当)を窃取し

第十九、同月十六日午前九時頃、兵庫県明石市魚住町清水二千百十四番地の三、宮明貞一方において、同人所有の背広上衣一着(証第十八号・時価約金二千円相当)、軍手一双(証第十七号はその片方)及び写真機タロン一台(時価約金二万円相当)を窃取し

<次の犯行までの経過――六>

右同日、右宮明貞一方で窃取した賍物を携えて神戸市内に入り、新開地附近で他人に頼んで右写真機タロンを処分し、その代金など八千円をもつて、大阪市内にいたり、映画を見たり、飲酒したりしたのち、市内松島の特飲店で一泊し、翌十七日早朝、梅田附近の酒屋で焼酎約四合をコツプで立飲みし、さらに一、二合の焼酎を買い、附近の飯屋でこれを飲みながら朝食を済ませたが、所持金が残り少なくなつたので、以前から阪神間には大きな住宅があることを知つていたところから、その方面で窃盗などをしようと思いつき、阪神電鉄梅田駅から乗車し、かくて

<犯行>

第二十、昭和三十二年十二月十七日午前九時頃、阪神甲子園駅で下車し、空巣に入れるような家を捜してぶらついているうち、同日午前九時三十分頃、兵庫県西宮市×××町××番地G方前附近にいたつた際、御用聞が同人方表門を開け玄関先で声をかけていたが、内から家人が出てこないため表門を閉めて立去るのを目撃し、同家は留守であると考え、右の御用聞と同様の方法で同家表門を経て家屋の西側に廻り、乗り越えた板塀の内側からその開戸のかんぬきをはずして退路を準備しておき、同家裏側から炊事場に上つたところ、同所北側の風呂場で洗濯をしていた同家の女中H(当時十六才)が被告人を見てびつくりして立つているのを認め、同女を脅迫して金品を強取しようと決意し、右炊事場にあつた出刃庖丁(証第七号)を持つて風呂場にいたり、左手で同女の右手をつかみ、右手にもつた出刃庖丁を同女に突きつけて「声を立てるな、金を出せ」と申し向け、恐怖におののく同女に案内させて同家東区割階下(Gら居住)表三畳の女中部屋にいたり、同女をして同室押入のスーツケースからその所有の現金約五千円を出させてこれを奪い取り、次いで同女を西区割階下(右Gの娘婿Jら居住)六畳の間に連れこみ、さらに金品を物色する間同女が騒がないようにしておこうと考えて、同室にあつた黒色伊達巻(証第九号)で同女の両手を後手に縛つたうえ、同じく有りあわせた腰巻で同女の口に猿ぐつわをかませたが、その際、同女のスカートの下から膝の附近が見えたので、にわかに劣情を催し、同女を強いて姦淫しようと企て、その場に同女を仰向けに押し倒し、そのズロースを引き下げようとしたところ、同女が猿ぐつわの隙間から大声をあげて救いを求めたので、直ちに両手で同女の首を強く締めつけて同女を失神させ、同女のズロースを引きおろしたところ、同女は月経中でその手当がしてあつたため、その目的を果さず、そこでさらに屋内を物色しようとしたが、階下に同女を放置しておいては家人が帰宅したときすぐに発見されると考え、失神している同女をかゝえて西区割二階(右Gの四男Kら居住)に上り、その北六畳の間に同女を寝転がせたうえ、同室の押入からフトンを取り出してこれにかぶせ、あたかも同女が寝ているように見せかけておき、次いで金品を物色するため前記出刃庖丁を持つたまま、襖を開いて南側四畳半の間に入つたところ、同室の南隣寝室のベツトの上に、右Kの妻L(当時二十三才)が上半身を起して被告人の方を見ていたので、さらに同女をも脅迫して金品を強取しようと企て、右寝室に入るなり左手で同女の右手をつかんで「声を立てるな」と申し向け、さらに右手にもつた前記出刃庖丁を突きつけて「金を出せ」と申し向けて脅迫し、同女をして現金約一万円を出させてこれを奪い取つたが、自己が逃走するまでの間同女を動けないようにしておくため、同室にあつた赤色伊達巻(証第二十四号)をもつて同女の両手を後手に縛り上げたところ、その際、同女の下半身がズロース一枚になつているのを見て、ここに強いて同女を姦淫しようと企て、同女に右出刃庖丁を示して「いうことをきけ」といいながら、同女のズロースを引き下げようとしたが、同女が「まだお金があります」といつて、後手のままベツトから下り、前記四畳半の間に向つて歩きかけたので、強姦をする前にあるだけの金員を奪つておこうと考え、右出刃庖丁をもつたまま、同女の後から右四畳半の間に入つたとき、同女が、やにわに振り返りざま被告人の股間めがけて足蹴りして来たので、案内すると見せかけて虚をついた同女の態度に憤激し、とつさに、殺意をもつて、右出刃庖丁で同女の左頸部、続いて左前胸部を突き刺し、よつて同女をして、心の貫通刺創、並びに、左内頸動脈、左外頸静脈各切断に基く失血により、その場で死亡させてこれを殺害し、次いで階下にいたつて東区割居間を物色したのち、前記女中部屋の押入にあつたスーツケースの中からH所有の封筒入現金及び祝儀袋入現金合計約一万二千円(証第六号はその祝儀袋)、並びに、婦人用腕時計一個(証第十五号、なお証第五号はそのバンド)を奪い取り、さらに西区割階下を物色したうえ、再びその二階へ上つたとき、北側六畳の間に放置しておいた前記Hが蘇生しかけてうめき声をあげたのを聞いたので、直ちに同室に入つたところ、同女が座つて呆然としていたので、すでに同女には自己の顔を知られている以上、同女をも殺しておかねば自己の犯行が発覚すると考え、ここに犯行隠蔽の目的で同女の殺害を決意し、一旦、南四畳半の間にいたつて右Lの死体の胸部に突き刺したままにしてあつた前記出刃庖丁を引き抜き、これをもつて右六畳の間に引き返し、右手で右Hの右肩をつかみ、右手にこの出刃庖丁をもつて同女の心臓部をめがけて一突きし、よつて同女をして、右の刺突による左肺刺創に基く出血により、その場で死亡させてその目的を遂げ、さらに右四畳半の間にあつた右Lの夫K所有の冬背広上下一揃(時価約金一万八千円相当、証第十一号はその上衣、証第十四号はそのズボン)を奪つたうえ、階下にいたつて前記西区割の四畳半の間を物色したが金員が見当らなかつたので、同室において返り血の着いた自己の着衣を脱いで右背広上下と着替え、同室の洋服ダンスからJ所有の冬オーバー一着(時価約金三万円相当・証第十号)を奪い取つて右背広の上に着こみ、前記奪取にかかるその余の金品をそのポケツトに移し変え、これを所持してその場を立ち去り、もつて以上の現金合計約二万七千円、背広上下一揃、冬オーバー一着及び婦人用腕時計一個を強取し

<次の犯行までの経過――七>

右犯行の後、直ちにタクシーで尼崎市にいたり、変装用に黒ソフト帽、マフラー、革バンド、マスク等を買い求め、前記Hから強取した腕時計及び従前から使用していたマフラーをその附近に捨て、次いで大阪に向い、さらに阪急京都線を利用して京都に入り、附近でジヤンパー、風呂敷を買い求め、新京極の美松名映劇場の便所内で、G方で強取して着用していた前記オーバー、背広上衣を脱ぎ、右用意のジヤンパーを着、革バンドに取り替えて変装し、脱いだ右オーバー、背広上衣及び古い革バンドを右風呂敷に包んで同劇場内に捨てたうえ、同日午後三時頃京都駅から上り列車に乗車し、夕刻岐阜駅で下車して同夜は駅裏の特飲店で一泊し、翌十八日、同駅附近でズボンを買い求めて、その時まで着用していた前記G方で強取したズボンとはき替え、同日名古屋へ出たうえ、さらに上り列車で午後十時頃東京都内に入り、新橋附近で飲酒遊興して附近の旅館に一泊し、かくて翌十九日朝には前記G方で強取した金員をほとんど使い果していたので、千葉市野田の戦友をたずねて金員を借用しようと思い立ち、国電を利用して千葉に向う途中、窃盗を企て

<犯行>

第二十一、昭和三十二年十二月十九日午前十時過ぎ頃、千葉県柏市中新宿二百三十六の一番地上田一二方において、同人所有の革手袋一双(時価約金五百円相当)及び同居人加藤弓子所有の三徳ナイフ一丁(時価約金二百五十円相当・証第三十九号)を窃取し

<次の犯行までの経過――八>

右犯行の後、前記野田の戦友の自宅へ行つたが、同人が留守であつたので、その家人から金二千円を借り受けて浅草に戻り、同夜その附近の特飲店で一泊し、翌二十日、国電で大船に行き、あちこちぶらついているうち

<犯行>

第二十二、昭和三十二年十二月二十日午後一時頃、横浜市戸塚区桂町×××××番地R方前にいたり、同人方が留守であれば空巣に入らうと企て、同家玄関先で声をかけたところ、留守居の同人の妻S(当時三十一才)が応待に出たので、とつさに、虚無人の名前をいつて家を尋ねる風を装い、次いで口実に水を所望して同女とともに台所にいたり、その際、他に家人が居ないことを見きわめるや、同女から金品を強取しようと企て、同所において、やにわに左手で同女の左手首をつかみ、刃を開いた所携の三徳ナイフ(判示第二十一の上田方で窃取したもの)を右手にもつて同女に突きつけ、「金を出せ、命が惜しいか、金が惜しいか」と申し向けて脅迫し、同女をして現金三千二百円を出させてこれを強取し

第二十三、同月二十一日午前十時頃、横浜市鶴見区上末吉町×××番地M方前にいたり、同人方が留守のように思えたので空巣に入ろうと企て、同家玄関の戸を開けたところ、案に相違して内から同人の妻N(当時二十六才)が出て来たので、とつさに主人を尋ねて来た風を装い、その在否を尋ね、同女のほかに家人が在宅しないことを確かめたうえ、口実に湯茶を所望し、同女がこれを用意するため玄関北側の台所に入つた際、同女を脅迫して金品を強取しようと企て、前記所携の三徳ナイフの刃を開き、これを右手にもつて右台所にいたり、同所において、左手で同女の右手首をつかみ、右手にもつた右ナイフを同女の胸部に突きつけ「これが見えるか、騒ぐと殺すぞ、金を出せ」と申し向けて脅迫し、同女をして現金千円を出させてこれを強取したが、その際にわかに劣情を催し同女を強姦しようと企て、同女を同家玄関南側の寝室に連れて行き、「いうことをきけ、いやなら殺すぞ」と申し向けて同女を寝台のうえに押し倒し、強いて姦淫しようとしたところ、同女が「廊下のガラス戸を閉めてくる」と称して被告人を油断させ、その際に逃げようとしたので、これを引き戻そうとして同女ともみ合い、前記ナイフで同女の胸部等に斬りつけたが、同女が被告人を振り切つて逃げ出したため、その目的を遂げず、その際、右の暴行により同女に対し治療約三週間を要する左乳房部及び左手掌各切創を負わせ

第二十四、右犯行後、附近の者から追われて逃げる際はだしになり、服装も見られているので、このままでは逮捕される危険を感じ衣類や履物等を窃取して変装しようと考えて、同日午前十時三十分頃、同市同区上末吉町××××番地T方勝手口にいたつたところ、たまたま留守居の同人の妻U(当時四十九才)が同所にいたので、同女から下駄を借り汚れた足をふいていたとき、同所に手斧(証第三十八号)が置いてあるのを認め、これで同女を脅迫して金員や衣類を強取しようと企て、同女の隙をうかがい、やにわに左手で同女の手首をつかみ、右手に右の手斧を振りかぶり、「俺は追われているのだ、金を出せ」「騒ぐと殺すぞ」と申し向けて脅迫し、同女に屋内を案内させ、同家八畳の間において同女をして現金七百円を出させてこれを奪い取り、さらに手斧をもつたまま「変装するから服を出せ」と申し向け、同女をして同家にあつたV所有のスプリングコート一着、靴下一足及びゴム半長靴一足(時価合計約金一万千五百円相当)を取り出させてこれを着用し、もつて以上の金品を強取し

第二十五、右犯行後、またも附近の者に姿を見られたところから、さらに衣類を盗んで変装しようと考え、同日午前十一時頃、同市同区駒岡町二千二百七十三番地山崎近方において、同人所有の現金三千円及び冬オーバー一着、黒皮短靴一足(時価合計約金九千円相当)を窃取し

<次の犯行までの経過――九>

右犯行後、現場附近で犯人を探していた警察官などの目を逃れて横浜駅に出たうえ、東海道線を西下して同日静岡市に入り、同所でも窃盗をして同地の特飲店で一泊し、翌二十二日、名古屋市にいたり、人夫募集人の世話で愛知県尾西市明知字須賀所在の藤田組森飯場に入り、翌二十三日から鳶職人として働いていたが、明けて昭和三十三年一月初旬、同僚と喧嘩したため居ずらくなり、同月十二日朝、右飯場を飛び出したが、金銭に窮し

<犯行>

第二十六、昭和三十三年一月十二日正午頃、愛知県一宮市萩原町朝宮千三百四十五番地畑田よね方において、同人の長男芳男所有の男物茶色オーバー一着、クローム側腕時計一個、眼鏡一個(時価合計約金三千二百円相当)及び現金千円を窃取し

第二十七、同月十五日昼過ぎ頃、同県春日井市鳥居松町四丁目二百五十六番地酒類販売業友松ゑつ子方において、同人所有のクローム側婦人用腕時計一個(時価約金四千五百円相当)を窃取し

第二十八、同月十七日午後一時頃、同県知多郡大府町大字横根字名高山一の三十二番地水野与師増方において、同人所有の男物薄茶合オーバー一着、紺背広上衣一着、男物ズボン一着、婦人用丸型金側腕時計一個、ゴム半長靴一足(時価合計約金一万三千七百円相当)を窃取し

第二十九、同日午後一時三十分頃、同郡同町大字北崎字清水ヶ根三十九番地安藤義則方前道路上において、同人が乗り置いた大府農協のスクーター一台を窃取し

第三十、同月十九日午後三時頃、窃盗の目的で、名古屋市瑞穂区白砂町五丁目五十一番地加藤幸平方に、侵入し

第三十一、同日午後六時頃、同市昭和区広路町石坂三十の十三、時計商古沢幸男方において、同人所有の新品婦人用腕時計三個(時価合計約金六千二百五十円相当)を窃取し

第三十二、同月二十日午前十時頃、愛知県中島郡稲沢町大字奥田四千五百五十六番地山田仁方において、山田智加良所有の中古オーバー一着及び中古背広上衣一着(時価合計金六千円相当)を窃取し

第三十三、同月二十二日正午頃、所持金がほとんどなくなつたので強盗をしようと企て、三重県桑名市尾野山×××××番地のW方にいたり、同家玄関のベルを押し、応待に出た同家の女中Z(当時十七才)に他の家人が不在であることを確かめたうえ、同女に対し湯茶を所望して同家勝手場に案内させ、同所で茶を飲んだ後、やにわに同所の棚に差してあつた出刃庖丁(証第二十五号)を引き抜き、これを右手にもつて同女の首附近に突きつけ、「声を立てるな」と申し向けて脅迫したところ、同女が大声で救いを求めたので、その場に同女を押し倒して馬乗りになり、両手でその首を締めつけたが、たまたま同家裏で仕事をしていた大工水谷五男に発見されたため逃走し、金品強取の目的を遂げなかつたが、その際、右の暴行により、同女に対し全治まで約五日間を要する頸部擦過傷を負わせ

第三十四、右犯行直後、その犯行を他人に見られたので逮捕されることをおそれ変装して逃走しようと企て、同日正午過ぎ頃、同市東方元町伊井淳方において、同人所有の合オーバー一着、宣伝帽一個(時価合計約金二千百円相当)を窃取し

第三十五、同日午後一時二十分頃、同市西汰上×××番地の一、F方前にいたつた際、同家が留守のように思えたので、空巣をしようと考え、同家裏口に廻つて声をかけてみたところ、留守居の同人の妻G(当時二十五才)が勝手場上り口の板間にいたので、虚無人の名前をいつて家を尋ねる風を装い、水を飲ませてもらつて一旦外へ出たが、その際、同家には同女と幼児のほかに家人が在宅しないことがわかつたので、同女を脅迫して金品を強取しようと企て、右裏口に引き返し、前記板間にいた同女に対し、所携の出刃庖丁(判示第三十三の犯行に使用し、そのままW方から持ち出していたもの)を右手にもつて同女の腹部に突きつけて脅迫し、さらに左手で同女の手をつかもうとしたところ、驚いた同女が被告人を振り切り、大声をあげて隣家に逃れたため、その目的を遂げなかつた

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は本件各犯行当時、被告人は飲酒酩酊、精神錯乱のため、いずれも心神喪失、若しくは、心神耗弱の状態にあつたと主張するので、この点について判断する。

まず被告人の平常時の精神状態についていうと、すでに判示したところで明らかなように、被告人の奔放な生活歴、並びに、旺盛な性欲と大酒癖は、一見その性格の異常を思わせるものがあるが、前掲の各証拠に、鑑定人長山泰政作成の鑑定書、及び、同鑑定人の当公廷における供述を綜合すると、被告人には精神薄弱、精神病、癲癇等の素質はなく、ただ、幼少時における祖母の溺愛、家庭環境の不安定、並びに、早期の非行、飲酒及び性交とその習慣化が、被告人の人格形成に影響を及ぼして、わがまま、見栄、怒りつぽさ、意思薄弱、気分易変等の資質が増強され、結婚後の妻への不満がこれに加わつて、このため、本件各犯行当時頃における平常の被告人は、中等度の精神病質人(主として意思欠如型、気分易変型、爆発型、自己顕示型等)であつたことが認められるが、それ以上に、社会適応性を欠如するような精神病者又はこれに近い程度の高度の精神病質人であつたとは認められず、また被告人の性欲は旺盛であつても、それが量的又は質的に特に異常なものであるとは認められない。従つて、平常時の被告人に、刑事責任能力を左右するような精神障害があつたということはできない。

次に、被告人の酩酊状態について考えるに、被告人は、本件各犯行のほとんど全部にわたり、あらかじめ飲酒しており、酒や焼酎など四、五合程度のんでいることも少くないことは、所論のとおりであるが、前掲の証拠によれば、被告人は、飲酒の常習化によつてアルコールに対する耐性を習得し、本件の当初までにも、清酒一升程度を飲んでも、全部ないし部分的健忘を残したことはほとんとない(被告人の言うところによれば軍隊にいた際に二回あつただけである)という飲酒歴をもつており、本件各犯行当時における酩酊はその全部が普通酩酊であつて、病的酩酊ではない。そして、犯行を重ねこれが習慣化するにつれ、その態様も兇悪化しているが、これとても鑑定の結果によれば、飲酒に関連する病的原因に基くものでなく、また動機なくして衝動的に行われたものでもないことが明らかなうえ、被告人自身、捜査官や鑑定人に対しても、はたまた当公廷においても、三十五件に及ぶ公訴事実及び起訴されていない他の犯行について、逐一日時を追い、他と区別して、各犯行の動機、経緯、犯行前後の行動について、その詳細を述べ、さ細な点についての記憶違いはときにあつても、犯行について回想不能のものは一件もなく、その供述は正確且つ明快である。もつとも判示第九の犯行については、被告人は強姦既遂の点を争つているが、これも単純な記憶違いと認めるべるべきであつて、酩酊に基因する行為そのものについての健忘に由来するものではない。そのうえ、本件各犯行中兇悪と認められるものについて考察すると、判示第一のAに対する強姦致傷、強盗においては、被告人が、立小便をする風をして被害者をやりすごしておいて後から飛びついていること、強姦後、騒がれて逮捕されることのないようにするためさらに首をしめて失神させ、その後手提袋を見付けてこれを強取していること、同第七、第八のCに対する強盗強姦未遂致傷並びに傷害においては、被害者が首を締められたため脱糞しているのを見て劣情消散し姦淫の目的を遂げなかつたこと、判示第十三のFに対する強盗強姦未遂においては、被害者が妊娠していることを知つてあわれを催し、着手した姦淫行為を中止したこと、前記第七、第十三の犯行並びに判示第二十二及び第二十四のS及びUに対する各強盗、判示第二十三のNに対する強盗強姦未遂致傷、判示第三十三のZに対する強盗致傷、判示第三十五のGに対する強盗未遂においては、いずれも、空巣窃盗の意思で他家に入り、家人が居あわすや、虚無人の家を尋ねるなど、口実をかまえて湯茶等を所望し、婦女のほかに人がいないことを確めてから居直つた犯行であること、その他、変装用に供するため衣服等を窃取しその場で着替えて逃走したことなどそのいずれをみても、犯行前に酒を飲んではいるが、その手口、犯行後の行動は、きわめて巧妙であつて、むしろ当時の被告人の精神状態に刑事責任を左右するに足りる障害の存しなかつたことを積極的に裏付けするものであり、また特に、本件最大の兇行である判示第二十の各強盗殺人、強盗強姦未遂についてみても、被告人は判示のように、前夜にも相当飲酒し、当日朝は焼酎をコツプで四合くらいと、さらに一、二合をのんではいるが、その犯行の手口において、あらかじめ御用聞の行動を観察し、G方は留守であると判断していること、逃走時のことを考えてあらかじめ退路の準備をしていること、屋内では犯行の発覚をおくらせる目的で階下で失神させたHを二階にかゝえて上つていること、Lからは強姦の前にとれるだけの金をとろうと考えたこと、同女を殺害した原因は、金を出すと見せかけた同女が自分のまたを蹴つて反抗して来たことに立腹したためであつて、動機のない衝動的な犯行ではないこと、Hの殺害にいたつては、自己の犯行発覚防止のための隠蔽殺人であること、右両名を殺害してからも金品を物色強奪し、外へ出るに際しては人に怪まれないようにするため屋内の衣類と着替えていること、逃走の途中で後日の証拠になるようなものは逐一処分して変装していることなどを考え合わせると、飲酒していたとはいえ、その行動は驚く程、周到、めんみつ、且つ、迅速であり、また右の犯行に関する被告人の供述のすべてについてし細に検討してみても、わずかに、幾度となく上り下りしている階上階下の往復の順序、従つて衣類を強取した順序に多少の喰い違いがあり、数回にわたつて強取した金員の一回一回の金額を正確には記憶していないというほかは、すべて一貫した正確な供述をしており、その内容はきわめて詳細にわたつているのであつて、むじゆん、撞着する点はほとんど見出せないから、犯行前における飲酒は、被告人の事理弁別力の減弱を来さなかつたものと認めるべきである。しかのみならず、被告人自ら、当公廷において供述するところによれば、被告人は、酒を飲んだために犯行を決意したのではなく、酒を飲めば、性慾が亢進し、凶悪な犯行を平気で行い得られるという自分の性癖を認識していて、むしろその酒の勢をかりたものであることが明らかである。

以上のとおりであるから、平素の被告人が中等度の精神病質人であることを考慮に入れ、各犯行時における飲酒状況をこれに附加して考えてみても、本件各犯行のいずれの当時においても、被告人において、その是非善悪を弁識する能力、またはその弁識に従つて行為する能力を欠いていたといい得ないことはもちろん、その各能力が著しく減弱していたともいい得ないから、右弁護人の心神喪失ないし心神耗弱のいずれの主張も採用しない。

(累犯となるべき前科及び確定判決の存在)

被告人は、(一)昭和二十三年六月五日、山口地方裁判所において、強盗罪により、懲役三年に処せられ、当時その執行を受け、昭和二十六年三月十四日仮釈放せられ、同年六月十一日右刑を終了し、(二)昭和二十七年四月二十五日、山口地方裁判所において、詐欺罪により、懲役二年(未決勾留日数中六十日算入)に処せられ、昭和二十七年政令第百十八号減刑令によりその刑を一年六月に減軽され、昭和二十八年六月一日仮釈放となり、同年八月二十六日その刑を終了し、(三)昭和二十九年六月二十三日、京都地方裁判所において、強盗未遂及び詐欺罪により、懲役三年六月に処せられ、右判決は翌二十四日確定し、その刑の執行を受けているうち、昭和三十二年七月三十日仮釈放となり、同三十二年十二月二十二日その刑を終了したもので、以上の事実は、被告人の当公廷における供述、検察事務官作成の前科調書((イ)検甲45号)京都地方裁判所の被告人に対する判決謄本(同45号の2)、京都刑務所長作成の「刑執行状況調査方の件照会(回答)」と題する書面(同45号の3)、京都刑務所発、神戸地方検察庁犯歴係あての電信訳文(同45号の4)によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示行為中、判示第一のうちの強姦致傷の点は、刑法第百八十一条(第百七十七条前段)に、同第一のうちの強盗及び判示第四の強盗の点は、いずれも同法第二百三十六条第一項に、判示第二の窃盗の点は同法第二百三十五条に、判示第三の強盗致傷の点は、同法第二百四十条前段に、各該当するところ、以上の罪と前示前科の(三)の確定判決を受けた罪とは同法第四十五条後段の併合罪であるから、同法第五十条により未だ裁判を経ない右各罪について処断することとし、右強姦致傷及び強盗致傷の各罪につき各有期懲役刑を選択し、被告人には前示(一)及び(二)の前科があるから、同法第五十九条、第五十六条第一項、第五十七条により、以上の各罪の刑につき、窃盗を除くその余の刑については同法第十四条の制限に従い、累犯の加重をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い右強盗致傷罪の刑に、同法第十四条の制限内で法定の加重をしたうえ、被告人を判示第一ないし第四の罪につき、懲役八年に処し、

次に判示第五、第六、第十一、第十二、第十四、第十六ないし第十九、第二十一、第二十五ないし、第二十九、第三十一、第三十二、第三十四の各窃盗の点は、いずれも刑法第二百三十五条に、判示第七、第二十三の各強盗強姦未遂致傷の点は、いずれも同法第二百四十三条、第二百四十一条前段に、判示第八の傷害の点は、同法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、判示第九の強盗強姦致傷の点は、刑法第二百四十一条前段に、判示第十、第二十二、第二十四の各強盗の点はいずれも同法第二百三十六条第一項に、判示第十三の強盗強姦未遂の点は、同法第二百四十三条、第二百四十一条前段に、判示第十五、第三十三の各強盗致傷の点は、いずれも同法第二百四十条前段に、判示第二十のうち、各強盗殺人の点は、いずれも同法第二百四十条後段、各強盗強姦未遂の点は、いずれも同法第二百四十三条、第二百四十一条前段に、判示第三十の住居侵入の点は、同法第百三十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、判示第三十五の強盗未遂の点は、刑法第二百四十三条、第二百三十六条第一項に、各該当するところ、判示第二十の両名に対する各強盗殺人と強盗強姦未遂とは、いずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条により、重い各強盗殺人罪の刑により処断することとし、前記の各強盗強姦致傷、強盗強姦未遂致傷、強盗強姦未遂の罪の刑につき、いずれも有期懲役刑を、傷害及び住居侵入の各罪につき、いずれも懲役刑を、各選択したうえで、判示第二十の各罪について、前掲各証拠、その他当裁判所において取り調べた一切の証拠に照らし、選択すべき刑を考察する。

刑罰は、犯罪のゆえにその行為者に対して科せられるものである。従つて、刑罰が教育刑としての目的を有することはもちろんであるが、その根底は、犯罪に対する反動であり、犯罪者に対する応報であるから、刑罰の軽重は、犯罪の軽重と釣合のとれたものでなければならない(罪刑均衡の原則)。そして、犯罪の軽重は、第一に、被害法益並びに社会に及ぼした影響すなわち違法性の大小と、第二に、犯罪者の行為責任すなわち、いかなる程度の非難を加え得るかという責任の大小との相関関係において定められる。そして、その責任の大小は、犯罪者の人間性すなわち人格と、その人格形成上の態度とを、あわせ考えて定められなければならない。そのうえに、一般予防、特別予防等の刑事政策的要請が考慮せられるのである。これを本件についていうと、

(一)  本件犯行(判示第二十の犯行をいう。以下同じ)の手口は、周到、巧妙、且つ大胆であつて、その方法は兇暴無惨である。すなわち、終始犯行の発覚防止に細心の注意を払いながら、白昼、婦女を狙つて、執ように強盗強姦を遂げようとし、両女に対して意のまゝに脅迫暴行を加え、何の罪もないこれらの若い女性を縛りあげたうえ、殺害したものであつて、ことにHに対しては、すでにLを殺害した以上、Hを生かしておいては自分のためにならないという考えのもとに、Lの胸に突き刺したまゝにしてあつた庖丁を引き抜き、これをもつてHの心臓部を突き刺している。本件犯行は、まさしく極悪非道、人命軽視の甚だしきものというべきであつて、社会一般の正義感情を著しく害し、且つ、生命の安全に甚大な脅威を与えたのである。留守居の婦女を狙つたこの犯行は社会を恐怖震がいさせ、その後も、白昼、大胆巧妙に、強窃盗をくりかえして、容易に司直の追求を免れ、世上に「白昼の通り魔」と恐れ称されたことは、公知の事実である。生命、わけても家庭における生命の安全は、何にもまして確保されなければならない。最近人命を軽視し、むぞうさに且つ残虐に人命を奪う犯行の続発する風潮下において、本件犯行は、刑罰の目的の一つである犯罪の予防という刑事政策的観点からも重視されなければならないのである。

次に、本件犯行が、被害者の遺族に対し、またとない不幸と苦痛とを与えたその結果は、まことに重大である。Lは良家に育ち、神戸女子短期大学を卒業し、昭和三十二年十月二十七日、電信電話公社に勤務するKと結婚したもので、新婚わずかに五十日、人生航路の始まろうとする時期において被告人に殺害されたのである。その遺族ことに夫Kの痛憤と悲嘆は甚大であり、同人が、当裁判所の証人尋問に際して「一人殺すも二人殺すも同じだというような気持であつたとすれば、絶対に死刑にして欲しい」と切言した心情は、国民の社会正義感に深い共鳴を与えるものと考えられる。また、Hは、両親に大事に育てられ、昭和三十二年三月中学校を卒業後直ちにG方に女中として住み込んだ当年わずか十六歳のおとなしい少女であつて、同女の不慮の惨死を知つた母親は、悲嘆の余り、三、四ヶ月の間、床にふして起き上れなかつたという。その後も、入信して別の人生観を持つことによつて辛うじて諦観している父を除いては、その遺家族は、今なお癒え難い痛憤の念に、被告人の極刑を希望しているのである。このような被害者感情は、量刑にあたつて考慮しなければならないことがらである。

(二)  犯罪は、行為者の素質と環境との相互作用の所産である。そして、被告人の素質が中等度の精神病質人であることは、前段認定のとおりであるが、更に、被告人の人格形成に影響を及ぼしたと考えられる環境と、それに対処した被告人の態度とについてみると、被告人の幼少時の家庭は、判示認定のとおり、父が道楽をして、母が苦労しており、そのためもあつて、被告人は、特に祖母に愛されて育つた。その祖母の死亡が被告人に精神的打撃を与えたことは、容易に想像できる。その後、被告人とその父とは、何となく打ち解けないものがあり、その環境は決して好ましいものではなく、被告人を非行、やがては犯罪へと歩ませた一因となつたことは認められてよい。しかし、まず、遺伝歴を調べてみると、被告人の家系には、飲酒傾向こそ認められるが、当裁判所の調査した範囲では、犯罪的傾向を有する者は見当らないし、血縁者中に精神病者その他の精神障害者は存在しないのである。被告人は、七人兄弟で、そのうち弟二名、妹一名は、戦死又は腎臓病、疫痢で早逝しているが、姉一名、妹二名は、健全に育つて、工員や鉄道技工の妻となり、平穏な家庭生活を営んでいるのである。しかるに、ひとり被告人だけが、久しく非行をくりかえして来た。そして、被告人とその父とは、相互の欠点に反ぱつしあつたのであるが、しかし、父の愛情を補うて余りある母の愛情があつた。結局、右の環境の影響は、たゞ被告人の非行の一般的、外部的一因たるに止まるというのほかなく、被告人の責任を低からしめるゆえんではない。

また、被告人は、Yとの結婚がそもそも間違つていたという。妻の人柄が被告人の求めるような娼婦型でなく、理性的で勝気であり、そのため、判示認定のような結婚当初のいきさつもあつて、被告人が、同女は冷情の持主であり、自分とは性格が合わないと考えたことも、一面うなづけないことではないけれども、Yにとつては、被告人は自己中心的性格と旺盛な性慾の持主で、感情は粗雑、しかも乱飲、不良の交友があり、犯罪と入獄とをくりかえす始末で、到底一生を託するに足りる夫ではなかつたが、同女は、これに耐え、一子を育てながら家業を助けて働いて来た。この妻の誠意と努力とにそむき、家庭を顧みないで犯行をくりかえしたその責任は、被告人自ら負うべきであつて、同女にこれを転嫁することは許されないところである。

被告人は、また、同女と自分の父や運転手工藤昭夫との間を疑い自暴自棄になつたと供述するので、当裁判所は、この点について能う限りの審理をした。なるほど、右Yと父との間を疑う風評はある。しかし、それは、被告人の服役中、同女が被告人に代つて父を助け家業に身を挺して働く姿を、附近の者が白眼視し、且つ軽侮し、面白半分に立てたうわさに過ぎず、その間に不倫の関係があつたものとは到底認めることができないのみならず、同女と前記工藤との間に不貞の関係があつたことを推認させる証拠もない(同女が被告人方に工藤を泊めた事実はあるが、同女は、その夜被告人と同衾し、その同じ部屋に工藤のふとんを敷いて泊めてやつたに過ぎず、被告人もそのことを知つていたことが認められ、この状況を、同女の性格及び平素の言動に照らしてみるときは、右は全く親切に出た行為というだけで、それ以外の何ものでもないことは明白である)。自ら風評の種になる非行を続けながら、その真否を確めもせず、家を守り子を育てながら懸命に働いている妻の貞操に対する疑惑を自己の非行の原因動機とすることはいわれのないことであつて、被告人の責任を軽減する理由とはならない。

従つて、被告人の家庭環境や妻との生活関係が被告人の本件犯行について、酌量すべき情状にあたるとは到底考えられない。

要するに、被告人の非行歴は久しいものである。家人特に母と妻とは、被告人を、酒色、悪友及び非行から遠ざけるように努力していたのみならず、被告人が刑務所から帰るたびに、両親や妻は、これを温く迎えた。被告人も、服役のたびに、過去を反省し、出所当座は、酒を飲まずまじめに働いていたのである。かような機会に、被告人としては、すべからくすなおに家庭に融けこんで、更生への努力をすべきにかゝわらず悪友が誘いに来るや、母や妻が手をとつて制止するのをきかず、けんか腰で出て行つて、禁酒を破り、せつかく家人の作つてくれた非行への防壁を自ら打ち壊すというふうで、いつも、間もなく酒色に身を持ちくずして次の犯行へ転落して行つたのである。

叙上のとおり、あらゆる点から検討してみても、被告人の人格形成の過程において、被告人が自主的に努力したと認めるべき何らの事跡をも見出すことができない。ひつきようかような犯罪を犯すに至つたのは、ひとえに被告人自身の責任であつて、かような悪人格を形成した点に責任を負わなければならないのである。

(三)  次に、数多い判示各犯行のうちに、本件各強盗殺人罪の刑の選択について、考慮し得べき情状のある事案があるかどうかを考えてみるに、判示各犯行のほとんど全部は、自己の物欲と獣欲との満足のために敢行されたものであつて、しかも、その犯行の手口において、本件と同様の危険性をはらむ事案である。本件とても、当初は空巣を狙うつもりであつたが、被告人の意識の底には、かりに家人が居あわしたときは暴行脅迫を加えて目的を達すればよいという考があつたのである。本件以外の犯行においても、もし被害者が抵抗したときは、本件と同様の兇行に出たであろうことが想像し得られる。その犯行の遂行過程において、本件との類似性があらわれている。この意味では、むしろ情状としては逆の効果しか持ち得ないのである。しかし、―弁護人も強調するところであるが―判示第十三のFに対する強盗強姦未遂の犯行時における被告人の態度は、他の場合と異るものがある。被告人は、判示のように、金員を強取したうえ、強姦しかけたが、同女が妊娠していることを知つて哀れを催し犯行を中止したのである。当裁判所は、被告人の心の片隅に、人間としての側隠の情が―それが犯行の途中において現われたものであるにせよ―温く脈打つていたことを喜ぶものである。しかし、これとても、他の数多くの強盗、強姦事件の間に狭まれては、ほとんど影をひそめてしまうのであつて、これをもつて、特に本件の強盗殺人罪の刑の選択を左右し得るものとはなし難い。

(四)  最後に、被告人の現在の心境である。被告人は、逮捕後自己の非を悟り、犯した罪の重大さに気づいて苦悶したが、ついに、どのような刑に処せられようとも一切を告白しようと決心し、犯行のすべてを自ら進んで供述した。そのなかには、被害者不明のため起訴されていない事案も相当ある。現在においては、深く悔悟し、仏門の教を受けて日夜両女の冥福を祈つている状況である。ことにHの父Bが当裁判所の尋問に際し「被告人を死刑にしてもHは返つて来ない、人の生命は尊いから、寛大な裁判を願いたい」と申し述べたときには、被告人は、いたく感動した。そして、ざんげの手記を二冊にわたつて詳記し、習いはじめた短歌を書きしるし、その巻末には、般若心経を写している。今や、被告人は、人間性を取り戻したといえる。裁判所は、かような心境に至つた者について、直ちに死刑をもつて臨むべきか、あるいは死一等を減じ人間としての道を歩ませるべきか、十分に考慮しなければならないところである。

思うに、残虐な殺人の現場を目撃した直後の者は、おそらく死刑を肯定し、犯行後相当の年月を経過し、且つ、犯人が改悛し神への祈りを捧げているような場合には、死刑を肯定する気持になりがたいであろう。

しかし、刑罰の根底が、犯罪と犯罪者に対する応報であり、量刑の第一基準が、罪刑の均衡にある以上、刑罰の質と量とは、まず第一に、犯罪の質と量とに応ずる相対的のものでなければならない。元来社会を構成する個人の生命、人格の尊重は、自他同等でなければならない。ひとり自己の生命、人格を尊重するに止らず、同時に他人の生命、人格をも尊重しなければならない。他人の生命を尊重しないで故意にこれを侵害し、且つかような犯罪性の形成について自ら責を負わなければならない者は、自分の行為について自分の生命をも失うべき刑罰が科せられる責任を負わなければならないことになる。これがすなわち、死刑が好ましくない制度でありながら例外的刑罰として存置されるゆえんである。

被告人は、自己の物慾と性慾とのため、新婚後一ヶ月余の新妻を殺し、且つ無抵抗の十六歳の女中をも殺した。三十四件の強盗、強姦、窃盗をやつている。犯罪の結果から言つても、被告人の犯罪性から言つても、はたまた、社会をいましめ、犯罪傾向者から社会を防衛する見地から言つても、本件は死刑によつて償わなければならない事案である。被告人は、腕力が強いだけでなく、感心するほど正確な記憶力を持つており、また、手記をみても学歴はないが相当の文才のあることが認められる。裁判所は、被告人が悪への道を選んだことを惜しみ、そして、悔い改めて日夜被害者の冥福を祈つている者に対し、死刑の判決を言渡すことに苦痛を感ずる。しかし、国家社会の秩序の維持を代表する裁判所として、被告人に対し、死刑を選択してその責任を問うほかはないという結論に到達した。

よつて、右のL及びHに対する各強盗殺人罪の刑について、いずれも死刑を選択し、なお、被告人には前示(二)及び(三)の前科があるから、前記有期懲役に処すべき各罪の刑につき刑法第五十六条第一項、第五十七条―判示第二十六ないし第三十五の罪の刑についてはさらに第五十九条―により、各窃盗、傷害及び住居侵入を除くその余の罪の刑については同法第十四条の制限内で、判示第五ないし第十九、及び第二十一ないし第二十五の各罪の刑に再犯の加重を、判示第二十六ないし第三十五の各罪に三犯の加重をし、判示第十三の強盗強姦未遂は、中止犯であるから、同法第四十三条但書、第六十八条第三号により法定の減軽をし、以上は、同法第四十五条前段の併合罪にあたるところ、前記二個の強盗殺人罪の刑について、同法第十条第三項により、その殺害の目的、方法、殺意の程度その他犯情において重いと認めるHに対する強盗殺人罪について死刑に処する。従つて、同法第四十六条第一項により、Lに対する罪及び判示第五ないし第十九、第二十一ないし、第三十五の罪については刑を科さないこととし、押収にかゝる主文第二項掲記の物件のうち、証第十五号、同第五号、同第十号、同第十一号、同第十四号はいずれも判示第二十の犯行の、証第十二号は判示第五の犯行の、証第十七号、同第十八号はいずれも判示第十九の犯行の、証第十九号は判示第十二の犯行の、証第二十七号ないし第三十四号はいずれも判示第十五の犯行の、証第三十九号は判示第二十一の犯行の、各賍物であつて、被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三百四十七条第一項により、主文第二項掲記の各被害者又はその相続人にそれぞれこれを還付し、なお、訴訟費用については、同法第百八十一条第一項但書を適用して、これを被告人に負担させないこととする。

(裁判官 山崎薫 野間礼二 大石忠生)

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